みちのみち

スピリチュアルな道をふらふら歩いているパーソナルカウンセラーのハナシ

何度でも

こんにちは。

みちのです。

 

 

以前の記事にも書いていますが、

わたしは自分のことを

なにかと責めてしまう。

 

昔はね

もっと重症で

責めている自覚さえなかった。

ま、だから

だいぶ進化した、とも言えるんだけどね。

 

でもね、昨夜しみじみと思ったんだ。

「もういいかな」って。

 

 

 

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道は続いている


 

 

 

食事の支度を毎日しなくても

仕事が休みの日に(オットは働いているのに)ゴロゴロしていても

YouTube ばかり観ていても

掃除を適当にしても

(↑ずいぶんですね・笑)

仕事で必要以上にあれこれ気を遣わなくても、

〇〇さんにもっとこうしてあげたほうがよかったんじゃないかとか

こう思っていたら申し訳ないなとか

こう思われたら嫌だなとか

etc、etc・・・

 

そして

完璧な人なんていない(そもそも完璧だったらヒトじゃない)とか

自分は自分だとか

他人がどう思うかはその人の問題で、わたしにはどうすることもできないとか

etc、etc・・・

 

今までは、

頭で考えて

意志で否定したり

変換していた感じだったけど

それが自然にそう思えるようになった感じ。

 

わかっている「つもり」だったけど、

ちゃんと腑に落ちたというか、

もっと深いところで体感したというか。

  

いや、だからって急に

「わたしは完璧だわー、素晴らしいわー、愛だわー、光だわー」

とは思っていませんよ。

 

ただ

自分を責める言葉が頭の中で響いた時

すかさず

「そんなんでもいいや」とか

「もうそういうの(責めるの)いいかな」と思える。

 

あきらめた、に、感覚としては近いかな?

なんかそいういの、どうでもよくなっちゃった感じ。

 

しっかり握っていたものを

サラーっと手放したみたいな。

 

 

 

そして思ったんだ。

こうして少しずつ、変わってゆくんだなって。

もちろん、

「せーの、っと、ぴょんっ!」(←よくわからない例えですまん・・・)

で一気に進んでいく人もいるかもしれないけど。

 

まず自分が、瞬間瞬間に

信じ込んでいる事、本当に思っている事、感じている事

(ここでは自分を責めていること)に気が付いて、

ただそれを受け入れていく。

 

何度でも、何度でも、何度でも。

 

その変化はとても自然で

 ドラマチックなことは何もないけれど

意外と一番の近道なのかもしれない。

 

 

 

♪ 何度でも何度でも何度でも 立ち上がり呼ぶよ

   きみの名前声が涸れるまで

   悔しくて苦しくてがんばっても

   どしようもない時も

   きみの歌を思い出すよ

 

   10000回だめで へとへとになっても

   10001回目は何か 変わるかもしれない ♪

 

 『何度でも/Dreames Come True』

 

 

 


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