みちのみち

スピリチュアルな道をふらふら歩いているパーソナルカウンセラーのハナシ

見る角度を変えてみない?

こんにちは。

みちのです。

 

 

 

先日、

マクドナルドのハンバーガーセットを食べながら、

ボーっと、思いました。

 

このハンバーガーが、わたしの手元に来るまでに、

どれだけの人が、

どれだけ手をかけてくれているのだろう。

きっと、

たくさんの人たちが「みんなに喜んでもらいたい」という思いで

努力し、知恵を出し、数えきれないほどのトライ&エラーを繰り返して

こういうカタチになったのだろう。

それって、すごい愛だな、って。

 

これ、数百円で作れって言われても

わたしには無理だな、当たり前だけど。

料理とか、好きじゃないし。(そういう問題ではないが・笑)

 

そういうの、他にもたくさんある、っていうか、

なんなら、すべてそうだ、と言えるほどじゃない?

 

宅配便だって、郵便だって

あの金額で、

ことによっては数百キロ先まで、

数日で、お届け時間まで指定されて、

届けられます?

 

わかってる。

一度にたくさん運べるとか

ちゃんとシステムが出来ているし、

商売なんだから採算が取れてるに決まってる、とか

そりゃそうだけどさ、

今話しているのはそいう問題じゃなくてさ。

 

 

 

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花は他人と比べないから美しい、んですって



 

少し前にもこんな記事で、

自分が当たり前だと思っていることが

じつは奇跡的に恵まれていることではないか、

すでに「与えられている」ということに気付くのが

もっと受け取るための一歩ではないか、

というお話をしましたが

 

与えられていることに気付く、というのは、

もっと大変な人がいるんだから謙虚に感謝するべき、とか

日本は恵まれているんだからこれで我慢しろ、とか

 

なんていうか、

他と比べるようなことではなくて、

ましてや、

自分の気持ちを押し殺して我慢しろ

ということではありません。

 

 

 

 

自分が辛い、と感じているなら、辛いのよ。

それ以上でもそれ以下でもない。

 

もっと大変な状況の人もいる、

こんなのマシな方だから我慢しなきゃ、

わたしの辛さなんて大したことない、って

否定したり、責めたり、

そんなの必要ないよ。

 

いいんだよ、自分が辛い、と感じているんだから、辛いの。

他人と比べる必要はない。

 

「気持ち」とか「感覚」とかって

客観視することができないじゃない?

例えば、機械で計って、数値化して、

「この辛さは10段階の5ですね、平均的です。」とかさ。

(ま、仮にできたとしても、必要ないけどね)

 

だから余計に

「このくらいみんな我慢してる、わたしは我慢が足りない、甘えだ。」

とかって思っちゃうよね。

(わたしは思っていました。)

 

そうじゃなくて、

いま、自分はとてもとても辛いと感じているのに、

それを我慢して、イイコト探しをしろ、

ということじゃなくて。

 

ただ、

見る角度を変えてみたら?という提案です。

(提案ですから、もちろん、するかしないかはあなた次第です。

あなたの自由意思にお任せします♡)

 

そんな辛いこともあるけれど、

一方で、こんなに、愛にあふれていることもあるんだ、

という見方はできない?

ということです。

 

 

そうすると少しだけ、楽に息が出来る気がしませんか?

 

 

 

 


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