みちのみち

スピリチュアルな道をふらふら歩いているパーソナルカウンセラーのハナシ

Bestな選択

こんにちは。

佐藤みちのです。

 

今日は結構熱い🔥よ

覚悟おし!(笑)

 

 

 

最近のわたしのキーワードが

「自分を信じる」

 

「信じる」ってあまりにもよくある言葉だから

真剣に考えたことなかったけど

考えれば考えるほど

深くていい言葉だね。

 

 

 

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さあどっち?

 

 

 

例えば

右に行く道と、左に行く道があって

どちらを選ぶか、という場合。

 

さあどうする?

 

わたしは、つい

誰か、自分より先を歩いている人や、経験のある人に

アドバイスをもらいたくなってしまう

だって、

損したくないし、間違いたくないし、失敗したくない

と思ってしまうから

その恐れが強いから。

 

でも、

「それをもとに(あくまで参考に)自分で判断」できるならいいけれど

答えを求めすぎてしまうと違うよね。

誰かが「○○です」って言ってくれないと、できない、

となってしまうとそれは

自分を、自由な自分を

他人に明け渡してしまうということだから。

(アドバイスって難しい・・・)

 

 

 

結果的に目的地には

右の道だと半日、左の道だと3日、かかるとするよね。

 

もし

自分が、左の道を選んだとしたら

その場の効率で結果から言えば、明らかに遠回りでロスだけど

だけど

その間の約6回の食事や2泊のお宿が素晴らしいかもしれない。

絶景に感動したり、素敵な人との交流があるかもしれない。

道中で欲しかったものを売っているお店があるかもしれない。

 

でも「遠回りして損した」と思うかもしれない。

 

 

自分が、右の道を選んだとしたら

早く着くことに意味があったのかもしれない。

 

でも「左には素敵なお店があったのに損した」と思うかもしれない。

 

 

どうして自分が選んだことを

「損した、失敗した、間違ってた」って思うんだろう。

どうして自分の選択を、自分を、信じられないんだろう。

どうして正解を出すことに固執するんだろう。

いつから自分よりも他人を信じるようになったのだろう。

それはとても悲しいことだよね。

 

 

 

わたしたちは学校で

問題を解くことを教わる。

 

それには確固たる「回答」があって

基本的に「正解」「不正解」のどちらかしかない。

そして常に「正解」を出すことを求められる。

 そういう教育を受けてきた。

  

もちろん

漢字の読み方とか、数学の計算とか

そのルールが適用される方が便利なこともあるけどね。

 

でも本当は

間違いなんて存在しない。

正解は答え合わせをして出るものではなく

自分が選んだ時点で「それが自分の正解」なんだよね。

(だから人の数だけ正解がある、それが多次元では?)

 

大事なのは

自分で選択すること、できると信じること、できること。

選んだ答えを信じること。

 

損得だって本当はないんだから

想像でしかない別の道を選んだ場合と、

目先の損得で比べるのではなく

自分がした選択が、その時の自分には最高最善だったと信頼すること。

 (実際に最高最善なんだけどね)

 

そうすればいつもベストな選択ができる、

っていうかさ、

自分が信じたことが、自分の世界を作っているのだから

自分がベストだと思っていれば

おのずとベストになる

ベスト以外になりようがないよね。

 

 

 

なんてことを

突きつけられている最近です。

わたしにとってきっと今が

それを変えられるタイミングなんだろう。

 

か・な・り

熱ーーーく語ってしまいましたが

何言ってるかわかるかなー

届いたかなー

こんな風にしか伝えられない

これが今のわたしの限界なんだ・・・

くやしー!でございます。

 

 

 

 

 

 


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